「蜆楽(けんらく)筋」の由来

□「蜆川」□

大阪の北新地には明治末頃まで、北の「曾根崎新地」と南の「堂島新地」を分ける様に「蜆川」(しじみがわ / 曾根崎川)が東西に2500mほど流れていました。蜆川の両岸には石崖造りの上にお茶屋の座席が並び、華やかな花街の賑わいを見せていました。客や芸者を乗せた涼船が川面を往来するその風景は、桜橋の上から見渡すと大変優雅で美しかったと伝えられています。

蜆川 史跡

 

□ 近松文楽 □

「蜆川」は近松門左衛門の作品とも関わりあいが深く、名作「曾根崎心中」では主人公の徳兵衛と遊女のお初が「蜆川」の茶屋・天満屋で宿命的に出会う事になります。また「心中天網島(しんじゅう てんのあみじま)」では、心中を誓い合った二人がこの「蜆川」を渡り、二度と戻る事の出来ない末路へと向かうのでした。

文楽 曾根崎心中